(全連退総会記念講演、令和元年6月5日 品川キュリアン)

長野禅仏教会主宰、作曲家、桐山紘一               

 

 皆さん今日は。このような場所で、こうして皆さんとお会いしていると、何か不思議な感じがいたします。どのような経緯で私がここに立っているのか。大げさに言うと、ビックバーンから延々と繋がってきた一点が今、ここです。この奇跡とも言える今日の出会いを本当に大事にして、皆さんと共に親鸞聖人の心を学ばせていただきたいと思います。
 木内副会長先生からは、信州松本での講演から本日の講演に繋がった経緯や、内容等にも触れながら丁寧にご紹介をいただき、真に有り難うございました。
 

  さて、演題は「歌で聴く歎異抄」ということですが、前半は歎異抄との出会いやそれを作曲するようになった経緯、また作曲家小山清茂先生との出会いなどについて話し、後半は、私が歌ったり、また日本作曲協議会で歌曲歎異抄の楽譜を出版し、3月6日に出版記念コンサートをしていただきましたので、その時の録音や録画がございますので、これを皆さんに見聴きしていただきたいと思います。


信州人格主義教育と歎異抄との出合い

 信州には戦前から人格主義教育という風潮があり、教師自らが人格または人間性を確立するための研修の大切さが強調されてきました。
 私は新卒で(昭和39年)諏訪市立四賀小学校に赴任しました。着任早々校長先生から、泉野教育で有名な藤森省吾先生の「三種の勉強法」についてのお話がありました。朝は坐禅などをして、宗教書や哲学書を読んで教師としての人格を磨くための勉強をしなさい。昼は子供の前に立って、教案をしっかり立てて教え、夜は自分の専門(技芸など)の勉強をしなさい・・・等々です。そして学校で毎週行われる読み合わせ研修は「善の研究」や「歎異抄」等をテキストにしていました。
 次に、松本の開智小学校に赴任しました。先生方はみなライフワークとしての自分の専門の勉強をしていて、学識があるのには驚きました。
  


 校長先生は歌壇を主宰されていて、和歌の指導をされており、また万葉集の研究家でもありました。冬は「万葉の旅」と称して奈良の斑鳩の里へ行きましたし、夏はお寺に泊まり込んで校長先生の万葉集の講義等がありました。(勿論自由参加で、殆どの先生方が参加していたように思います。)
 読み合わせ研修は、マルチン・ブーバーの「我と汝」等でしたが、大変難しい宗教哲学書で、私はさっぱり理解できませんでしたが、ブーバーの研究では第一人者の佐古純一郎先生をお招きしてのお話を聞くと、佐古純一郎先生の言葉と人を通して、難解な哲学が良く理解できたように思いました。これが教育は人から人へ成されるという、人格主義教育の原点ではないかと思います。


歎異抄の素読と歌曲歎異抄の作曲

 その次に、上田市の学校に赴任したときには、歎異抄や教行信証に造詣が深い春原桂次郎先生にお会いしました。校長先生をやられて後、退職されておりましたが、学校や教育会に招かれて研修会が行われていました。私は先生に、歎異抄はどう読んだら良いか質問したら、次のように言われました。「歎異抄の研鑽は、一にも素読、二にも素読、自然に暗唱できるまで素読を重ねることが第一段階です。知的理解はその補助的手段であろうかと思います」と。私は、意味は大体分かっているのに・・・と思いましたが、言われるままに毎日少しずつ素読を重ねました。
  


 その内に「歎異抄の言っていることはこういうことだったのか・・・」と分かってきたように思いました。春原先生は、これを体解(たいげ)とか行的認識と言われていました。
 このように素読を重ねる内に、称えている言葉が自然にメロディーとなって口をついて出てきたのです。それを繋げて出来上がったのが歌曲歎異抄というわけです。
 このような歎異抄の研鑽と並行して、信州教育の大先達である長島亀之助先生の勧めで、禅の修行をしてきました。禅の視点からも全く違和感なく歎異抄に親しみ、理解できたことが作曲への大きな契機となっています。


作曲家小山清茂先生との出会い

 私が開智小学校にお世話になっているとき、作曲家の小山清茂先生にお会いしました。小山先生が松本市鉢盛中学校の校歌を作曲され、そのために松本においでになりました。その時に鉢盛中学校の三井政二先生をはじめとして、3〜4人で小山先生にお話を親しく聞く機会に恵まれました。小山先生は日本音楽の大切さを滔々と語られ、みな感動して、作曲を教えてくださいとお願いしたところ、同好の人が何人か集まれば松本へ行ってもよい、という返事をいただきました。早速20人程が集まり、昭和47年に松本市源池小学校で、第一回日本音楽研究会が開催されました。それから毎月、小山清茂先生をお迎えしての研修会が、平成13年まで30年間も続いたことになります。
 この研修会に参加された方々は延べ100人にも及びましたが、当初はここまで続くとは夢にも思いませんでした。教師の全く自主的な研修であったからこそと思いますし、信州人格主義教育に繋がる研修であったからこそと、今さらながら思っています。


 小山先生の理念は「作曲家も演奏家も、先祖の遺してくれた宝庫を開け、そして余すところなく極め尽くせ。そうすれば日本の音楽作品が国際的地位を獲得するであろう。」でした。そのような小山先生の指導をいただくことができたお陰で歌曲歎異抄が完成したのです。私は、先祖の遺してくれた宝庫を少しでも開くことができたかどうか?・・・、後ほど聴いていただきますので、よろしく思います。
 現在、先生の生涯にわたる作品、400数十点が長野市に寄贈されています。また、先生の生まれ故郷である村山(現、長野市山布施)にある県スポーツセンターの一室を借りて、小山清茂資料室が作られ、先生の楽譜や写真などが展示され、作品を試聴することもできるようになっています。彼方にお越しの際は是非お立ち寄りください。


  


人格主義教育の碑(いしぶみ)

 人格主義教育の指標となってきた碑の写真をご覧ください。
 
 写真@は、豊科の信濃教育会生涯学習センターの庭にある碑で、西田幾多郎先生の揮毫で「無事於心無心於事」とありますが、これは景徳伝燈録にある言葉だそうです。西田先生が意訳された「物となって考え 物となって行う」という言葉が併記されています。この碑は、教育の指針として高家小学校の庭に建立されたものですが、閉校になったので生涯学習センターに移転されたものです。また、これと同じものが長野市の信濃教育会館に掲額されていますし、今でも幾つかの学校で同じものが掲示されているようです。


 
 写真Aは、西田先生の弟子である木村素衞先生の碑です。木村先生も、教育会は勿論、多くの学校から招聘され、長野県各地を訪れております。 これは松本市浅間温泉の山中にある、木村先生の直筆の碑です。 「眞実に実在を愛する人にとって自己の死はなんでもない。大きな交響曲の一音が私の一生であろう。発すべき時に発すべき音を発したとき、そして消えた時、それで一切はいい。秋雨よ静かに降り続け」と、木村先生は西田先生から、「君は教育哲学をやったらどうか」と云われ、その道に進んだそうです。教育愛と表現愛という本が信濃教育会から出版されています。信濃教育会では、中央から招聘した先生方の論文や講演記録を数多く出版しており、教育愛と表現愛は信州教育のバイブルとなってきたと思います。
  




 写真Bは、長水教育会館前にある、片岡仁志先生の碑で、「億劫相別而須臾不離 尽日相対而刹那不対」無限に離れていて、しかも少しも離れていない。四六時中向かい合っていながら少しも向かい合っていない、ということですが、この言葉から何かを感じ取っていただければ幸いです。









 
 写真Cは、作曲家小山清茂先生をお迎えしての、レッスン風景です。

歌曲 歎異抄を聴く

 歎異抄を勉強するときは、本を読んだり、話を聞いたりして学ぶことが多いのですが、歌を聴いて学ぶことはあまりないのではないかと思います。音楽は理論ではなく、直感力を働かせて音楽経験として楽しむことですから、むしろ感性を働かせることによって、容易く歎異抄の世界に参入できるのではないでしょうか。

<第一節をCDで聴く>(演奏;バリトン鹿野章人、ピアノ河合良一)

 「念仏まをさんとおもひたつ心の発(おこ)るとき、すなはち摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益(りやく)にあづけしめたまふなり。」という言葉がありますが、念仏をしようと思い立った時には、すでに救われているということです。「踏み出した一歩で届く江戸までも」 と、仏教ではこのような捉え方をします。華厳経には「一即一切、一切即一」という言葉があります。
 次は「罪悪深重煩悩熾盛(ざいあくじんじゅうぼんのうしじょう)の衆生を助けんがための願にてまします。」で、罪が深く重く、煩悩が燃えさかっている衆生を阿弥陀様は救ってくださるというのです。衆生というのは私達のことですから、罪悪が深重で、煩悩が音を立てて燃えさかっているのは、実はこの私であったという自覚です。私は教員でしたから、自分はそんなに悪い人間ではないと思っていましたが、本当は罪悪深重だったということです。

<第二節を桐山が歌う〜>

 十四ヶ国の境を越えての所ですが・・・関東に置いてきた弟子達が、往生極楽の道を問い聞かんがために、はるばる京都にいる親鸞聖人を訪ねて来たのです。しかし親鸞は、念仏より他に往生の道は知らないと言っています。

(次を桐山が歌う、ご詠歌のようなメロディーで鈴を振りながら。)
 「念仏は〜念仏は〜まことに浄土に生るるたねにてや〜はんべるらん〜また、地獄におつべき業(ごう)にてや〜はんべるらん〜、総じてもて存知(ぞんち)せざるなり〜」
そして、たとえ法然上人に騙されて、念仏して地獄におちたとしても、後悔はしないと言い切っています。
(続いて張り扇で机の上を叩きながら拍子をとって講談調に歌う)
 「弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおはしまさば、善導の〜(中略)法然の(中略)〜親鸞がまをすむね、またもて虚しかるべからず候か〜」これが、師資相承という仏教の大切なところです。真理は人から人へ伝えられるということですが、これが人格主義教育の原点であるように思います。

<第三節の一部分を桐山が歌う〜>

「善人なおもて往生をとく」のところですが、これは善人でさえ往生をとげるのだから、悪人は当然だと言っています。そして「自力作善の人は、ひとえに他力をたのむ心欠けたるあいだ、弥陀の本願にあらず・・・。」と言っていますが、何でも自分の思う通りに生きていると、思っている人を自力作善の人と言ってもよいでしょう。あらゆる苦しみはそんなところから生まれるのですから・・・。

<第一節〜三節まで通して、DVDによって視聴する>
(これは、2019年3月8日、東京新宿区初台のオペラシティーで、楽譜出版記念演奏会が行われたときの録画。演奏;バリトン鹿野章人、ピアノ河合良一。)
* CD、楽譜のご案内は出版物のページをご覧下さい。


  
     

戻る目次ページへ     戻るトップページに戻る