坐禅は呼吸


講話 桐 山 紘 一

一.はじめに
  「坐禅は結局呼吸です。臍下丹田に向かってザーンザーンと、一息一息坐るこってす。」一息一息の語気を強めて、稚堂老師はよくこのように言われました。私は老師の独特の口調で言われるこの言葉を聞くのが愉快で、しかも呼吸の大切さと有り難さがしみじみと感じられるようでした。 この大切な坐禅の呼吸について私なりに整理してみたいと思いますが、大変困難で且つ危険なことでもあります。何故かというと呼吸は人によって捉え方が千差万別で、初心の方にはかえって先入観を植え付けてしまうことになりかねないからです。しかし禅の修行で避けて通るわけにはいかないこの大切な呼吸について話題にして、皆さんのご指導をいただきながら、呼吸の大切さと綿密な呼吸のありかたを探る出発点にしたいと思います。

二.呼吸は心を映す鏡
  かつて私が受け持った子供達の中に、長期欠席の子がおりました。色々手を尽くしても改善されず、本人や家族の苦しみは大変なものでした。あるとき私はその子を観察していて、呼吸が大変浅いということに気づきました。私と接している時だけでなく常時浅い胸式呼吸で、呼吸回数がかなり多いようです。従ってしゃべり方も途切れ途切れで大変聞き取りにくのです。そこで私は、「息を吸い込んで、ゆっくり吐く〜。」と言って、私と一緒に深呼吸を十回やらせてみたのです。そして毎朝母親と一緒に実行してもらったところ、それを始めて三日後に登校して、その後すっかり回復してしまったのです。
 不登校の原因は大変複雑ですから、どんな場合でもこのように回復できるとは思えませんが、少なくとも呼吸が心身と深く関わっていることは明白です。病気の時や心が乱れている時、または強いストレスが加わっている時等は、浅い不安定な呼吸になり易く、また笑っていたりリラックスしたりしている時は、長く静かな安定した呼吸になっています。このように呼吸は心や精神、健康の状態を映し出す鏡ではないでしょうか。
 そこで今度は逆に、呼吸を安定させることによって心身をストレスや不健康から解放することができるはずです。最近では安定した腹式呼吸の練習をして病気の治療をすることが医療で盛んにおこなわれていると聞きます。スポーツでも呼吸を整えて心身の調整をしている姿を良く見受けます。一朗選手がバターボックスに入ってバットを構えるとき、必ず大きく呼吸をしている姿は特に印象的です。
 人体の諸器官は自分の意志(分別智)で動かすことが殆どできません。例えば心臓でも肝臓でも、血液の流れでも自分の意志でコントロールはできません。動かしているのは医学的に言うと自律神経(無意識)ですが、仏教的に言うと仏の命(根本知)と言っても良いでしょうか、大変神秘的な働きです。
 さて、呼吸というのは自分の意志でコントロールでき、その上無意識でも呼吸できる。このように活動できるのは唯一呼吸器官だけだそうです。そこで呼吸を意識的にコントロールすることによって、自律神経(無意識)に働きかけ心身を活性化させ安定させることができると言うわけです。ヨーガでは色々な呼吸法を開発して、呼吸によって心身を自由自在にコントロールします。

三.入息短 出息長の呼吸
  坐禅の呼吸は「深い静かな呼吸」などと言われます。また古人の言によれば「鼻の穴の前に羽毛を吊しておいて、それが揺れないように」とか、「蒸すような息」または「のんびり牛が鳴くような息」等というユニークな言葉を使って呼吸のこつを述べております。いったいそれはどんな感じであろうかと、自分で一つ一つ点検工夫してみれば必ず思い当たる節があるでしょう。
 さて呼吸について述べた教典である大安般守意教には、次のように記されております。「数息の得られないのに三因縁あり。一に罪が倒る。二に行が工みならず。三に精進せざるなり。入息は短く、出息は長く、念いに従う所無きを道の意と為し、念う所の有るを罪と為す。罪は外に在って内に在らざるなり・・・・・。」この入息短、出息長の呼吸を熱心に続けていくことによって、妄念をうち破って心に平安をもたらすことができるというのである。しかし、だからと言って殊更に出息を長くしようとして無理をすると、苦しくなって呼吸のバランスを崩してしまいますから、はじめは自然なゆったりした呼吸に心がけて、一息一息を大切にしていくと、しだいに深い長い息になっていくのが理想です。

四.坐禅は逆式腹式呼吸
 坐禅は腹式呼吸であるとよく言われます。このことから私は長い間、間違った坐禅の呼吸をしておりました。というのは、私は坐禅を始める以前に、歌うことの訓練を行っていたのですが、勿論腹式呼吸と言われている西洋のベルカント唱法というものです。それは息を吐くときに下腹がへこむ方法です。(順式腹式呼吸)それは瞬時に大音量を発したり、細かいリズムを正確に表現するために、横隔膜の繊細な動きを作り出すために必要な呼吸法です。その呼吸法が身に付いていたものですから、坐禅を始めたときに腹式呼吸ということで、この順式腹式呼吸で坐禅をしていたのです。
 稚堂老師から「坐禅の呼吸は深呼吸ではないよ。」と言われたことがありましたが、多分私の順式腹式呼吸で大きく腹がふくらんだりへこんだりしていたのでしょう。その誤りに気づくまでにだいぶ長い時間を要してしまったのです。坐禅の呼吸は、息を吐く時は、自然に下腹がふくらむように、やや圧力がかかります。(逆式複式呼吸)「気」がズーンと丹田(下腹・腰)に集中していくことが実感できます。坐禅儀に「臍腹を寛放」せよと言う言葉がありますが、腹や臍がへこんでいてはいけないと言うことでしょう。稚堂老師に「臍から息を出すようにしてみよ」と言われたこともありました。お腹をへこませて鼻から息を出している私の姿を見て、ご指導いただいたのだと思いますが、確かに息を臍から出すような感じにすると、逆式複式呼吸になります。魔訶止観の中に「息の出入は臍をもって限りとなす」と在りますが、このことかと後になって分かったのです。
 息を吐くににしたがって下腹部が充実するために、上腹部はややへこむことはあっても、下腹は充実こそすれへこむことは無いのです。そしてやや息に余裕を残して自然に吸気に入ります。私は順式腹式呼吸が身についていたので大変な回り道をしてしまいました。しかし坐禅の呼吸が分かってからは私の坐禅が飛躍的に充実したものになったことは言うまでもありません。ところで坐禅の本を読むと、「息を吐くときは下腹をへこませてる」と書いた本が、かなりありますので初心者は特に注意する必要があります。
 さて、呼吸のデリケートなところを苧坂光老師は「在家禅入門」の中で綿密に述べていただいてあります。時々読み返しては自分の坐禅を点検していきたいと思います。「出入綿々として存するがごとく亡きがごとく・・・・」このような正しい禅の呼吸を身につけ心身の調和を図り、人間の分別を越えた根本知に参入していきたいものです。


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