禅と健康


講話  桐 山 紘 一

お釈迦様の教えにしたがって、整然と真摯な坐禅会ができました。お釈迦様がここにいらっしゃったら、きっと誉めてくださると思います。どんな言葉をかけてくださるでしょうか。今日初めての方もおいでになり、3回とも真剣に坐っていただき素晴らしいと思いました。しかしあまり無理をしないように、自分のペースで坐っていただくのがよい訳ですから・・。
 坐禅は一般的な認識からすると、叩いたり気合をかけたり、何か根性を鍛え直すというような強制的なイメージが強いのですが、決してそんなことはありません。警策は受ける人と行ずる人が互いに合掌して、仏の御名に於いて行じます。
 しかも坐禅は非常に科学的なもので、説明しようと思えばどんなにでも説明できますから、疑問に思うことはどんなことでも聞いてください。
 さて、坐禅をするには体が坐禅のできる体勢になっていなければなりません。熱があったり、病気だったりしたら大変です。病気でも坐禅はできるのですが、最低坐禅ができる健康状態を維持しなくてはいけない。

坐禅をすると老眼にならない
 坐禅をしっかり続けていくと、健康が回復します。多少の病気も克服できると思います。私も20年近く坐禅をやってきましたが、それらしい病気は致しませんでした。これからどうなるか分かりませんが、とにかく老眼も余り進んでいません。目を酷使すると老眼が進んで急に見えなくなる事はありますが、坐禅をすると少し回復します。私には兄弟が4人いますが、みな老眼です。私だけが老眼になっていません。弟は45歳位から老眼鏡を掛けていますが、私は現在58歳ですがまだ眼鏡なしで新聞も読めます。兄弟の中で違いといえば私だけが坐禅をしていますから、坐禅が大いに影響していることは間違いありません。
 坐禅によって身心を活性化して自律神経を刺激してやれば、衰えもかなり遅らせることができるのではないでしょうか。
 坐禅会の始めに仏足頂礼(五体投地)をやりました。「一心頂礼十方常住三宝」と唱えながら手を上げて合掌し、次に大地にひれ伏して、自分自身の思いをゼロにして頭を下げる。そして仏様の法を全部私が頂くという気持ちで、耳の後ろまで手を上げる。つまり仏足頂礼というのは、仏様の足を自分の手の上に乗せて、自分は仏様の足の下にひれ伏して総てを頂くのです。また、自分の中の仏性に礼拝すると言う意味もありますが、仏教ではどの宗派でも行われている最も重要な礼拝です。
 坐禅の始めにそれがあるというのは、非常に重要なことです。仏足頂礼を10回20回とやったことがありますが、2,30回やると感動します。自分自身が本当にゼロになっていく。そうすると、自分以外の大きな世界から何かを感ずる。そういう働きがあります。天台宗でも真言宗でも何千回やる修行の方法があるそうです。
 そういう訳で、仏足頂礼を入り口でやったり、坐禅会の始めにやるのは、非常に大事な意味があって、しかも健康法であります。つまり自分の「我」を払っていくと心が自由に柔軟になり、心身の健康が回復していくということです。また、体を前に屈伸してコの字型に縮めると、内臓の鬱血した血液が全身に回って血色が良くなってきます。
 現代人は体をあまり動かさないので体が堅くなっています。仏足頂礼は身心を柔軟にし活性化するすごい働きがあると思います。腰痛などはすぐ直ってしまうのではないでしょうか。勿論健康のためだけにやるわけではないのですが・・・・。
 坐禅の目的は調身、調息、調心です。身体、呼吸、心を調えるのが坐禅です。

調身
 体を調え姿勢を良くするだけで病気にならない。坐禅が初めての方は、腰の骨がだんだん後ろへ引け易いのではないでしょうか。私たち普段の生活は、どうしても背中を丸くする生活が多いので、そうなりやすいのです。厳しい労働をした方とかオフィス生活の長い方は、どうしても腰が後ろへ引けてしまい易い。
 人間が最高の価値に目覚めるためには、大脳を真っすぐ上げて、脊椎を真っすぐ立てた人間のスタイルにならなくてはならない。
 きちんとした坐禅をしようと思うと、脊梁骨を真っすぐ立てることが肝要です。特に腰の骨を真っすぐ立てて上体を安定させることです。坐禅に慣れてくると自然にそうなることも事実ですが、腰が痛かったり曲がっていたりすると大変です。
 最近は腰痛の人が多いようですが、それでは坐禅が良くできません。腰痛の克服は正しい坐禅をするための必要条件であり、人類の大きな課題でもあります。

腰痛を克服するにはどうしたら良いか
 病院へ行くと注射をしたり、薬を飲んだり、湿布をしたり、コルセットをはめたり、しますが、それらは一時的には良いかもしれませんが、根本的に直っていないからすぐ再発してしまい易いのです。
 自分の体を腰痛にならないような体にしないと、永久に直らないのではないでしょうか。どうするかというと、コルセットを付けているのと同じような体にするために、背筋や腹筋を鍛えるのです。現代人は背筋や腹筋をあまり使わないので、腹や腰の回りが軟弱です。
 私も典型的腰痛体質でした。20代の頃から毎年のように腰痛を起こし、医者通いが続き、這いずって歩くような苦しい生活が15年位い続きました。いつも左足がしびれていて廃人になるのではないかとさえと思いました。従って性格も暗く自信が持てず迷いが多かったように思います。
 何とかしなくてはならないと、追い詰められて始めたのが腰痛体操でした。腰椎を補強する筋肉をつけなくてはならない。腰の回りに厚い筋肉があって、骨がずれたりしないようにガチッと押さえていく、天然のコルセットを作ることです。これをつくる方法は簡単な腰痛体操です。仰向けに寝て足をどこかに引っ掛けておいて起き上がる運動を繰り返し、腹筋をつける訳です。次に背筋は仰向けに寝て、ただお尻を上げ下げするだけです。できるだけ一杯に上げて下ろす。グーッと上げて下ろす。(実演)初めは10回やるのが精一杯でしたが、一日1回やって一カ月位すると、30回位軽くできるようになりました。そうすると何となく腰の回りがしっかりして、スーッと痛みが取れてきました。しめたと思いながら、なお3カ月位続けると、痛みはほとんど無くなってしまいました。苦しみが長かっただけに喜びも一塩でした。それ以来20年位ですが腰痛は起こっていません。今では忙しいので一週間に一回しか腰痛体操はやりませんが、天然のコルセットはしっかりできていると自分でも感じます。
 皆さん腰痛になりそうか自分の体に聞いてみてください。
 年を取ってくると、自分で自分の体が分かるようになります。癌になりそうかとか、このままだと血圧が上がるとか、だんだん自分の体が分かってくるので養生することができます。
 お腹や腰をしっかりしておくと、臍下丹田に気持ちがドンと落ち着きますから、気持ちが安定して、人間関係も仕事もうまく出来るようになるのではないでしょうか。腰の悪い方はぜひ体操をして、自分の体を作ってください。
 ヨガにもいろいろな補助体操があります。バッタのポーズとかコブラのポーズとか、余裕があったらやってみると良いと思います。坐禅すれば自然に腰がしっかりして腰痛にならないことも事実ですが、重症の場合は腰痛体操をして、腰痛を克服することから始めなくてはなりません。そして坐禅をやっていくと、それ以上の健康が約束されるというわけです。

調息
 坐禅は呼吸であると言われているくらい大切です。スポーツでも呼吸で心身の調整をして全力を出せるようにしています。陸上のスタートで深呼吸をしている姿がよく見られます。深い静な呼吸で自律神経のアンバランスを調整しているのでしょう。
 死にそうになったら、深呼吸すれば生き返るかも知れません。坐禅の呼吸をすると一日二日、または数カ月命を延ばせるかも知れません。呼吸というのは大変な働きがあるということは、日常の生活でお分かりと思いますが、坐禅の呼吸をしっかりするというのが、健康の要です。つまり長息と短息の組み合わせで、長く静かに吐いていって、短くスウーッと吸う。これが基本です。
 人間の体の器官は、自分の意志で動かすことができない物が多いと思います。心臓でも肝臓でも、自分の意志で動かせません。それをコントロールするのが自律神経です。自律神経というのは、人間の意志に関係なく動いています。これが狂うと病気になります。この自律神経を自分の意志で活発化させたり、ある程度コントールすることができます。それは呼吸を使うことによって可能です。
 呼吸というのは自分の意志でもコントロールできますし、無意識で寝ていても呼吸をしています。呼吸活動は意識の世界でコントロールできて、なおかつ無意識でもできる。そのような活動は唯一呼吸だけです。したがって、呼吸をコントロールすることによって、無意識の自律神経に働きかけ、心身の各機関を活性化することができるのです。ヨーガではいろいろな呼吸法を開発し、呼吸によって心身を自由にコントロールします。
 坐禅は、長息と短息の組み合わせた呼吸をして自律神経を活発にします。しかも酸素を沢山取り込みじますから、心身が活性化し理想的な健康状態を維持することができます。このお釈迦様の呼吸法は、大安般思惟経の中に詳しく述べられています。
さて、長く吐いて短く吸うからと言って、初心の場合ことさらに意識しすぎて、却って苦しくなりバランスを崩してしまい易いので注意が必要です。姿勢を良くして静かに落ち着いた呼吸をしている内に、長く吐いて、短く吸うというという坐禅の呼吸になっていくのが理想的です。

調心
 身を正し、ゆったりした静かな呼吸をして、数息観や随息観を進めていく内に、身心共に安定してきます。
 「身心一如」と言いますが、身と心は一つである。心のことを考える時は体のことを考えていると思っても良いでしょう。坐禅をして素直で豊かな柔軟心を身につけると健康になり、しかも不幸や災難は回避できるのではないでしょうか。恨みごとをもったり、自己中心的になっていると、自己の回りにある莫大な美しい世界があることに気がつかない。莫大な世界とは、仏の命とか永遠の命とか、摩訶般若波羅蜜多とか言われている絶妙な世界です。人間の考えでは推し量れない世界です。
 胃袋のコントロールは皆さんできないでしょう。胃袋がどんな働きをしているか知らなくても、胃袋はちゃんと働いてくれます。医学がどんなに進んでも、どういう精密な働きをしているか、ほとんど分からないと言ってよいでしょう。分かっているのは、百あるうちの一つくらい。それ以外の微妙な精密な営みは、医学がどんなに進んでも分からないと思います。
 植物の働き見てください。植物が太陽の光を受け、素晴らしい働きをしていますが、一生懸命やっているなと、ある程度は分かるが、どうしてそうなるのか微妙な所は殆ど分からない。さらに宇宙がどのようにできた等ということは全く未知の世界です。すべてを含めたそういう丸ごとの命の働きと共に私たちが生かされている。私の体も心も自分の思いや判断では及びもつかない、不思議な素晴らしい世界に生かされているという感覚を持つと身心は健康になります。さらに自分の心の奥底にも、仏の心や無限の働きがあります。また、自分の外側にも宇宙を含めた自然界の無限の働きがあります。その2つの働きはまっく同じことなのですが、人間は自分の自我をもっているために、バリケードを張って、全てを相対的に見て、何とか自分の生活を守ることだけに一生を終わってしまいがちです。自分の生活や人間関係や地位や名誉。そういうものを越えて働いている仏の命。これに目覚めることが坐禅の大きな目的です。そういう気持ちがパッと広がったときに、本当の健康が約束されます。
 それからもう一つ。仏の永遠なる命、そのエネルギーは、絶えず私達に働きかけているのです。そして私たちを動かせています。心臓でも心の働きでも、自分ではない向こうから無限に働きかけている。私たちはそっちを向かなくてはいけないのに、一切向かないで自分のことだけ思っていると、不健康になります。だいたい病気になる人は、こういうスタイルの人が多いと思います。もっと、私たち越えている大きな命の働きへ目を開く。坐禅をすると必ず開かれると思います。信じるということもそうです。開いたり、信じたり、気づいたり。それから感動する体験は大切だと思います。自然の素晴らしい働きに、感動する場面を自分に置いていく。朝日が昇る素晴らしさはどうでしょう。美しい太陽が昇り、また沈むところ。この無限の働きに心から感謝して日々を過ごしていきたいものです。
今日は、禅の立場から健康に焦点をあてて考えてみました。

平成11年11月19日講話

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