桐山紘龍               


          1.世界に広がる禅(ポーランド〜ロスアンゼルス〜オランダ)

 無得龍廣老師は若い頃より、世界へ禅を広めるという強い思いがあったと述懐されております。特に釈迦牟尼会四代会長に就任してからは、ポーランド、オランダへ何度も往来し、布教活動を精力的に行って来られました。
 老師は、平成25年度オランダ禅リバーでの提唱後の出来事を、次のように述懐されています。(禅味532号)
 「侍者から老師の部屋へどうぞと言われ、中へ入った。天慶老師が向こうから舞を舞うように私の側に近づき「前角老師が来られた、光龍老師がここに居る。」と言いながら、そのまま私の足下に礼拝された。突然のことにびっくりして、私もそのまま老師と同じく礼拝をした。恐れ多いことであったが、私の提唱を聞き、お二人の祖師を思い出され感動されたことが、愉しく光栄であった・・・・云々。」

 私は、この報告文を読ませて頂いたときに、何故お二人の祖師がここに出てくるのか即座に理解できませんでした。

 その後、老師のポーランド布教に随身させていただき、さらにロス禅センターの50周年記念式典、そしてオランダ禅川寺接心に参加させていただき、釈迦牟尼会の法が光龍老師と前角老師によって、世界に広がっている事実を目の当たりしました。

 さらにその思いは龍廣老師に引き継がれ、ポーランドやオランダに伝えられてきたと思います。このような法縁にめぐまれたことに改めて感謝し、その経緯を記してみたいと思います。


          2.世界への架け橋(無得龍廣老師と法純さんとの出会い)

 無得龍廣老師のポーランドへの布教は、曹洞宗の禅僧シュプナル法純さんのお力によるところが大きいと思います。彼は龍廣老師の法話に感動され、老師を招聘してのポーランドの接心を企画推進されてきました。

 オランダ禅川寺への布教も含めると、延べ6回に及びます。その概要は逐一「禅味」に掲載されていますから、釈迦牟尼会員の已に知るところです。

 現在、法純さんは曹洞宗の布教師として活躍されていますが、正法を求めて来日して20年近くなるのでしょうか。英語、ポーランド語は勿論、日本語による表現力は抜群で、特に仏教用語を駆使されての仏教の捉えは、私共も学ぶべきものがあります。

 それは老師の通訳を通して培われたものであるとも思われますが、彼がカトリック教会の中で育ちながらその矛盾に気づき、困難を乗り越えて真正の仏法に出会った驚きや喜びが根底にあるからだ思います。

 老師と法純さんとの出会いは、まさに西洋と東洋の思想文化の出会いであったと思います。日本語に表現され、より進化した大乗仏教思想を、西欧へ伝える架け橋になっていただくと同時に、仏教がさらに世界の宗教として発展することを期待して止みません。


          3.ポーランドの摂心(平成27年5月9日〜25日)

 私は無得老師の侍者のつもりで参加させていただきましたが、かえって老師にお世話になってしまいました。老師はポーランドへの布教は3度目で大変慣れておられ、お迎えに来られた方々のお名前を親しく呼び合い、再会を喜んでおられる様子は、真に仏心で結ばれているように拝見しました。
 5月10日〜13日までは、ポーランド北部の美しい町「シシェチン」にある三宝院に宿泊させていただきました。三宝院は観禅さん(日本曹洞宗寺院で長年修行された禅僧)が建立され寺院で、ビルの4階部分が、いくつかの部屋と本堂になっておりました。
 ここでは信者の方々との坐禅、質疑と懇談、市内観光などをさせていただきましたが、信者の皆さんとの質疑応答の様子で印象に残っていることを一つ紹介いたします。
 年配の方の質問で、「仏教で言う四智とはどのようなものでしょうか。」という質問でしたが、老師は即座に「四智とは、大円境智〜見聞覚知行住坐臥〜云々」と、具体的な言葉で分かりやすくお話されたので、質問された方は納得されたようでした。

 私もその時はなるほどと、一々納得しましたが、老師の答えがどのようなお話であったか思い出せません、いつか再度質問してみたいと思っています。

 指導者の観禅さんが「唯識は難しい・・・。」と仰っていましたので、信者の話題になっていたのかもしれませんが、一般の方が唯識について関心をもっておられるということに先ず驚きました。

 4日〜15日は、電車でポスダン市に移動してホテルに宿泊。続いて17日〜23日の摂心に参加するために、ポスダン市より車で南下し、チェコとの国境近くの高原にある、摂心会場(Wojtowice)に移動ました。
 ヴァルチックさんというパイロットをされている方が運転する車で、4時間ほどかかりましたが、美しいポーランドの風景を楽しみながらの移動で、運転しているヴァルチックさんに、いい加減な英語で質問したり、老師の禅話を聞いたりして楽しく過ごすことができました。


          4.ガットをして打たしめよ

 摂心会場は山小屋風の宿泊施設で、50畳位の禅堂と自炊が出来る食堂からなり、高原の清浄な環境は摂心に最適でした。全体運営の法純さんから、釈迦牟尼会の方式で直日をやるように依頼され、老師に相談したところ「ガットをして打たしめよ」という、フランスの有名なテニス選手の言葉を示していただきました。このような摂心は今まで2回行われており、そのやり方をできるだけ尊重し、現地に合った自立できるような方向を模索しながら対応することにいたしました。

 老師のポーランドでの布教は、まさにこの心をもって行われているように思いました。それは苧坂光龍老師が言われている「欧米の禅が成立するのは、欧米の科学文明を本物にする禅の実力が発揮されたときである。」という理念に通ずるものであると思います。(「在家禅の巨匠苧坂光龍」P144参照)

 さて、摂心の参加者は34名で、ほとんど三宝院で修行を続けている方々でした。摂心参加は初めてという人が少しで、2〜3回目という方が多く、ドイツから2名、韓国の坐禅会からも3名、他、若干名の方々でした。 この様にかなり坐禅を経験されている方々が多く、坐り方はバランス良い姿勢で立派な ものでした。特に坐禅中の居眠りは皆無であり、真剣さは私共も見習うべきものがあります。

 経典の四弘の誓願、般若心経、観音経、白隠和尚坐禅和讃等々は、ローマ字で書かれた経本を使っていて、はっきりとした日本語で称えているのには吃驚しました。差定は釈迦牟尼会とほぼ同じで、暁天、朝、昼、夜の4坐、1炷35分間。独参は朝夕2回行われ、各自問題を持って何時も全員が入室するので大変盛り上がった摂心になりました。やはり独参は摂心の重要なファクターになると再認識しました。


          5.臨済録提唱と坐禅体操

 老師の臨済録の提唱は気迫のこもった大変素晴らしいものでした。聞く人の真剣さに応えての提唱ですから、日本に居るときと全く違って熱のこもったものになったと思います。提唱は、臨済禅師成道の経緯に触れた行録の部分を取り上げ、老師が原文を読み、法純さんが翻訳された英文を読んで紹介しました。初めは皆さん物語の要旨が理解できないようで何とも怪訝な表情をされていました。

 臨済は、黄檗から大愚の元へ行って、大愚の言下に大悟したのですが、老師が臨済禅師となって躍り出ました。「元来黄檗の仏法多子無し」!と叫んで、今度は大愚を三回打った。そして黄檗のもとへ帰って、どう言われたかと聞かれると、即今「ピシャー!」と。黄檗が「この気ちがいめ!」と・・・・今までの緊張感が一度にほぐれて大爆笑となりました。 黄檗をそこまで打ちのめして痛―い、と。大愚を打つことと師の黄檗を打つことは全く同じ事です。トントントン・・・(経台を叩いて)結局これです・・・と。

 トントントン、聞こうと思わなくてちゃんと聞こえるでしょう。私の力で聞いているのではない。心と現象が本来一つであり、世界と私が元から一つの命で働いているということです、と。・・・この提唱で誰もがそうだ!と納得した瞬間でした。

 坐禅体操は釈迦牟尼会の大切な修行の一つです。摂心でやったらどうかと提案したら、暁天と夜坐の後に実施することになり、大変好評でした。緊張と緩和のバランスがとれた摂心になったように思います。

 坐禅体操が海を渡ったと言って、これを作った森本稚堂老師が天国で喜んでおられることでしょう。ポーランド禅会からの要請で、坐禅体操のマニュアルを作成しました。森本善雄さんの綿密な校訂を得て、釈迦牟尼会の正式なマニュアルとして禅味に掲載させていただきました。


          6.ロスアンゼルス禅センター創立50周年式典

 平成29年6月16日〜17日に、ロスアンゼルス禅センター(現ナカオ恵住職)創立50周年記念式典と創立者の前角博雄老師の没20回忌、また前角老師の御尊父で御開山の黒田白純老師40回忌の法要が行われました。

 前角老師の弟子達約200名が全米各地から、さらにヨーロッパ各地から集まり、米国に根付いた禅の発展を祈念し法要が行われました。導師は前角老師の実弟である黒田純夫老師(桐ケ谷寺住職)が勤め、釈迦牟尼会からは提唱を依頼された無得龍廣老師と通訳の法純さん、理事の土居さん、桐山の4名が渡米列席させていただきました。

 前角老師は曹洞宗の修行をされ、父上の白純老師から嗣法。また学生の頃より淡水寮に所属して苧坂光龍老師に師事され、曹洞宗の布教師として渡米してからも、再三帰国して釈迦牟尼会の摂心に参加されている。ロス禅センターが開設されてから光龍老師は3回招聘され渡米しております。光龍老師はその間、釈迦牟尼会の隠山派の公案(臨済宗妙心寺派)によって、多くの修行者を摂化し、前角老師もその法を継承されました。

 その後安谷白雲老師、中川宗淵老師も禅センターを訪れており、日本の臨済禅が前角老師によって取り上げられ、その後30年間、前角老師は多くの立派な弟子を育て上げられ、嗣法した弟子達は全米のみならず、ヨーロッパ、南米にまで広がって活躍されています。


          7.欧米に根付く看話禅

 ロス禅センターには、広い坐禅堂に付随して二つの立派な独参する隠寮がありました。何故二つあるのか質問するチャンスを失してしまいましたが、私は光龍老師と前角老師のお二人が同時に独参を行う必要があったのではないかと、勝手に想像しておりますが機会があったら確かめてみたいと思います。
 また、ロス禅センター主幹の恵玉老師によると、独参は日々綿密に行われているということです。英語による公案で、アメリカ人が立派に修行を進められている事実を目の当たりにして、看話禅の可能性を再認識しました。

 法要後、黒田純夫老師が従容録より臨済瞎驢の提唱をされ、仏法を守るための師と弟子の懸命のやりとりを紹介。また前角老師の思い出に触れ、兄が米国へ出発するときに「私は米国に骨を埋める覚悟である」と言いましたが、その強い思いや祈りを、弟子達がしっかり受け継いでいることに感謝したい、と話された。

 18日にはロス郊外にあるマウンテン禅センターへ移動して、境内の高台にある前角老師の墓を参拝供養した。黒田老師の説明では、前角老師の夢は、山中にある永平寺のような専門僧堂を中心とした修行道場と、都会では一般修行者のための道場という、二つが有機的に機能するセンターを考えていたということです。御影堂に白純老師、光龍老師、白雲老師、前角老師の写真が掲額されており、報恩と、更なる発展を祈念させていただきました。

 続いて近くの広い禅堂で、無得龍廣老師の臨済録の提唱が、盛大に行われました。臨済録、仏法無功用の所で、「随所に主となれば立処皆真なり」と、老師の圧倒的な音声が禅堂一杯に響き渡りました。「立処皆真なり」を、この圧倒的な音声が示しておりました。

 「皆さん、仏法は私たちの真実の心の働きです。トントントン(経台を打つ)、私が心を働かせようと思わなくても、トン、この音声が皆さんにも私にも、全員の心に働きますね。今ここに仏陀が、マホメットが、キリストが居ても、彼らに平等に働きますね。それが『功を用いること無し』ということです。トン、このものが、トン、このものとして働いている・・・・。」無得老師の提唱が、沢鳴りの音と共に、満堂の皆さんの心に深く染み入っていくように感じました。

 平成30年にはオランダ禅リバーでの摂心に無得老師、黒田純夫老師をはじめ、法純さん、土居さんと共に、参加させていただきました。天慶老師を中心に、オランダに根付いている看話禅の実態を見聞させていただきました。この事については紙面の都合で割愛させていただきます。概要は無得老師の報告で、禅味と百周年記念誌に掲載されていますので参照ください。



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