タイトル「禅に生きる音楽表現」

(退職会での講演記録2010.11.8)
桐山紘一


 1.縁起としての音楽表現
 皆さんのお顔を拝見していますと、何故私がここに立っているのか、ここで話をしようとしている自分とはいったい何だろうかと、大変不思議に思います。この講演をするようになった直接の経緯はありますが、それ以外のいろいろの事が無限に関係し合っています。私がこの世に生まれたという所から、私の両親がどのような教育をしたとか、何故音楽をやるようになったとか、さらに多くの人との出会いや関係など、さまざまな原因や結果が無限に関係し合って、今、ここで、皆さんと私がこのようにしているのです。
 このような感覚は、禅(全)を生きるということに繋がっていると思います。全体を生きると言っても、歴史を思っているわけではないのですが、今、話しているこの一点に、私の過去や未来の全てが表れているわけです。その状態を禅では「即今の自己」「只今の自己」などと言っております。
 洞山禅師は、真の実在とは何かと問われた時に、麻の目方を測っていたのでしょうか。麻を取り上げ、「麻三斤」と叫んだのです。何をとんでもない事を言っているのかという話になりますが、真面目な話です。
 禅の問答(修行)は、このように「即今の自己」に、いつも集中していくわけですが、麻を計測している洞山禅師の只今のところに、過去や未来の全てが縁起として寸分の狂いもなく働いている「ありのままの実在」を端的に示したのです。
 このように実在を的確にとらえることによって眞の教育が成立し、また豊かな音楽表現ができるのです。音楽も縁起の働きそのもので、必ず一つの原因があって、間違いなくそのように展開されていきます。
 西田幾多郎博士は「実在は流転して留まることのない出来事の連続である」と言われております。これは仏教の縁起観を端的な言葉で言い表したもので、私に言わせてもらえば、出来事の連続が音楽表現です。生きて働いていることが直接音楽表現になっていると言えます。
 私たちは息をして、笑ったり悲しんだり、絶えず変化して流転しているのと同じように、音楽表現も絶えず変化して展開し、一つのテーマを基にして、次の新しいテーマが生まれ、その二つのテーマを原因にして更に展開され、バランスをとりながら人生と全く同じような働きで音楽表現をしているということです。

 2.ソナタ形式と人生
 初めからこのような理屈っぽいことを申し上げるつもりは無かったのですが、これも図らずして、縁起としてそうなったのかもしれません。禅を生きるという講演のテーマは、この縁起によって生きるということにほかなりません。そういうことで、音楽表現として私が作曲した曲を聴いてください。

 ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
      (動画による鑑賞)

  『信濃の唄』の鑑賞
 第一楽章 艶やかに(ソナタ形式)
 第二楽章 子守唄 (三部形式)
 第三楽章 祭り  (三部形式)

 演奏 ヴァイオリン:桐山建志、ピアノ:久富 友香子 

      <2007.6.10 若里市民文化ホール収録>






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 出来事の連続としての音楽表現を感じ取っていただけたでしょうか。
 ソナタ形式というのは、昔から決まった形があるわけではないのですが、作曲をしていくと何となくそのような形になっていきます。小説や論文等でも「起承転結」というような流れがあり、説得力ある文章になっていく。音楽だろうと文学だろうとまったく同じではないかと思います。
(メロディーを口ずさみながら)このように第一主題が提示されます。「今日は良い天気ですね」と挨拶されると「ほんとに気持ちが良いですね」というように応えます。「今日は良い天気ですね」と言われたのに、「朝食は卵焼きと魚でした」なんて話にはなりません。(笑い)
 最初に提示される動機と、それに続く動機が応答の関係になるのが自然です。
 夫婦関係などもそうですね。まず第一主題が出てきて、次ぎに第二主題の美しい人が現れて、プロポーズして結婚します。子供が生まれたり夫婦喧嘩をしたり、嵐がやって来て別れそうになったりするのが展開部で、やがて子供も大きくなり自立していくと、また夫婦二人きりになって、昔を懐かしんでいるようなのが再現部です。私達の人生とソナタ形式はよく似ています。

 ではもう一度第一楽章を聴いてもらいます。第一テーマは陰旋法で、第二テーマは陽旋法です。


 ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
      (動画による鑑賞)



  『信濃の唄』の鑑賞
 第一楽章 艶やかに(ソナタ形式)
  
  
  





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 3.小山清茂先生との出会いと作曲
 会長先生のお話の中に、小山清茂先生のご紹介がありましたが、小山清茂先生に作曲を教えていただいたことが、私の音楽活動の全てになっております。「人間、師がいないと成長しない」と言われますが、私のような能力の無い者が、このような曲を作曲できるようになったのは、全く小山清茂先生のご指導のお陰です。
 小山先生は、昨年6月に96歳で亡くなられました。生まれ育った村山(旧信里村)にお墓が造られました。師範学校を卒業後、芋井小学校、屋代小学校に勤務され、上京して都内の学校に勤務しながら作曲の勉強を続けられました。管弦楽曲「信濃囃子」が日本音楽コンクールで一位になり、その後、教員を辞めて作曲に専念し、沢山の名曲を遺されました。中でも「管弦楽のための木挽き歌」は20年間に渡って、小中学校の必修鑑賞教材になりました。
 先生の持論は「国籍の明瞭なる作品を創ること。作曲家も演奏家も先祖の遺してくれた宝庫を開け。そして余すところ無く窮め尽くせ。そうすれば日本の音楽芸術が国際的地位を獲得する。」でした。
 このように先生は日本の音楽を大切にされ、日本音階と日本ハーモニーを駆使して、管弦楽は勿論、オペラ、歌曲、現代邦楽等々、あらゆるジャンルで、多数の名曲を遺されました。
 「たにしの会」の研修会では、30年間、毎月信州へ来ていただき、先生の指導を受けた会員は、延べ100人にも及びます。これほど長期に渡っての教師達の自主的研修は他に例はないのではないかと思われます。

 4.長島亀之介先生との出会いと禅
 私が何故禅を始めたかということですが、新卒で諏訪市四賀小学校へ赴任しました。北原茂衛校長先生に、藤森省吾先生の三種の勉強法を教えられました。教師たるものは、朝は修養の書を読み坐禅等をして、昼は教材研究をして教え、夜は自分の研究である音楽の専門の勉強をするように言われました。
 職員研修の読み合わせでは、西田幾多郎先生の「善の研究」や仏典の「歎異抄」「正法眼蔵」、哲学書等です。このような研修は以後、私が転任した何処の学校でも熱心に行われました。
 禅を始めた直接の要因は、信濃教育に(昭和53年の4月号)長島亀之介先生の「若き教師に訴える」というエッセイが掲載されておりました。
 教育現場の混乱を指摘し、知識偏重教育に警鐘を鳴らしておられました。身体を通して対象と一つになって行う労作教育を強調され、教師自らの研修が必要であり、禅がそれに貢献できることを自らの経験をもとに述べておられました。
 私も教育に行き詰まりを感じていたので、「禅を基にした教育と言うが、どのように禅を学べばよいか」と、長島先生に手紙で質問しました。すぐに返事をいただき、「明日君の家に行くから駅まで迎えにくるように・・・」と。わたしはびっくり仰天、先生の並々ならぬ生き方に感動して、早速私の方から長島先生のお宅におじゃましました。深夜までお話を伺い、本を10冊もいただいて帰ってきたのです。
 その後、後町小学校で行われていた「道心会」に参加させていただきました。「君は理屈っぽくていけない」。正法眼蔵を学ぶには坐禅を行う必要があるということで、岡田利次郎先生が主宰する担雪会を、続いて釈迦牟尼会を紹介され、現在は無得龍廣老師に教えをいただいております。

 5.方丈記の無常観とありのままの実在
       方丈記より『ゆく川の流れ』

     『ゆく川の流れ』
    (動画による鑑賞)


  『ゆく川の流れ』の鑑賞


  箏の弾き語り:友渕のりえ

 <2008.7.6 若里市民文化ホール収録>





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 友渕のりえさんは人間国宝級の素晴らしい演奏家です。演奏に当たって、この部分は漫才風に、ここは長唄風に、最後は謡曲風に、とお願いすると、何でもできる方で、現在信州大学音楽科の講師として、日本音楽を教えていらっしゃいます。
 縁起観の別の表現が無常観です。方丈記は無常を謡っておりますが、無常とは西田幾多郎先生の言う「絶えず変化し続ける出来事の連続」ということであります。それは即今、只今に集約されており、たえず生きて働いている「ありのままの実在」、「空」ということになります。
 大変飛躍してしまいましたが、長島亀之介先生はそれを「永遠なる命」と表現されました。
 先生は道心会で、随聞記の「只今ばかり我が命は存するなり」を読み終えて、「皆さん永遠なる命というものがあるんですよ。現代の人達はそんなものあるんか位に思って、真面目に考えようとしない。永遠なる命があるんです。ありったけの元気を出してそれをつかんで下さい」と言われました。
 それが最後の講義になってしまいました。


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