Midnight Lover 1
File No.3:Iori as a Host




あんなにも夜の街が似合う人を、あたしは知らない。
あんなにも淋しい笑顔を浮かべる人も。




「ねえ、本当に行くの?」
何度目かの問いを繰り返したあたしに、夏実と遊洛院さんは「くどい!」と軽く睨んで言った。
「だって、あたし別にそういうの興味ないよ?」
煌びやかなネオンが近づいてくる。それとともに二人の気持ちも高揚していくようで、まるっきり
あたしの言葉はスルー状態だ。
「いいではありませんの! たまにはハメを外すことも大事ですわ!」
そう主張したのは遊洛院さん。高校時代の友達だ。
「そうだよ。あんただって、一度くらい行ってみたいでしょ?」
力強く同意したのは夏実。彼女は中学校からの親友。
「でも……」
あたしを引きずるようにして、二人はさっさと歩いて行ってしまう。高校を卒業して、普通のOLを
やってるあたしには縁の無い場所だと思うんだけどなぁ……。

「さ、着きましたわ! ここですわよ。『クラブ ラ・プリンス』は!」
有名な歓楽街の中でも、一際目立っているのがそこだった。派手な外装の店なら他にも幾らで
もあるけれど、なんていうかそこは……ハイグレードな雰囲気というか、佇まいというか。一見
雑多に見える街の中で、そこだけがあたりを払うような品格めいたものがあった。

『クラブ ラ・プリンス』。
そこはいわゆる、ホストクラブ……なんだけど。

遊洛院さんが重いドアを開けると、仕立てのいいスーツを着こなした男性が一礼して出迎え
る。
「いらっしゃいませ。遊洛院さま、いつもありがとうございます」
どうやら遊洛院さんは、ここが初めてではないらしい。むしろ、「いつも」とか言われるってことは
頻繁に来ているってことなんじゃないの? 
ちらりと彼女を見ると、ちゃっかりあたしから目をそらしたから、間違いない。
もー……。やっぱり遊洛院さんも、『お嬢様』なんだから。
「今日はお友達と一緒に来ましたのよ。ですから……」
遊洛院さんがそう言い掛けると、心得たように彼は頷いた。
「はい。挨拶にうかがわせますのでお席でお待ちください」
あたしと夏実は、なんだか分からないうちにどんどんと店の中へと案内されてしまう、そして、一
番奥に近い席に三人で座ると、あたしはようやく息をつけた。
豪華なシャンデリアが光を投げかける店内。楽しそうな笑い声や話し声。思わずきょろきょろと
見回してしまうあたしの袖を遊洛院さんが引く。
「鈴原さん。もう少しレディらしくしていらしてくださいな」
「だって! 遊洛院さんは馴れてるかもしれないけど、あたしは落ち着かないんだもの!」
小声で話していると、すぐ隣でくすくすという笑い声が聴こえた。
「ご自分のお好きなように過ごしてくださっていいんですよ」
声のした方に顔を向けると、そこには胸元を少しはだけたスタイルでスーツを粋に着こなしてい
る男の人が膝をついてあたしを見ていた。
「失礼します。『依織』と呼んでください」
あたしたち一人一人に名刺が手渡され、彼はにっこりと微笑んだ。
甘い笑顔って、こういうのを言うのかな。
その笑顔に見惚れてしまったのはあたしだけじゃなかったみたいだから。

「十和子さま、本日はどうなさいますか?」
彼が訊くと、頬を染めた遊洛院さんが頷いた。
「せっかくですから、いつものものを。皆さんにもね」
十和子さんの答えに、『依織』と名乗った彼は近くにいたウェイターみたいな人に素早く囁い
た。
「ありがとうございます。それでは、僕から」
運ばれてきたのは、ピンク色をしたシャンパンとグラスがたくさん。優雅な手つきで栓を抜いた
彼は、シャンパンをグラスに注いでいく。そして遊洛院さんにグラスを恭しく差し出し、自分もグ
ラスを持って遊洛院さんの隣に座った。それから彼女の耳元で何か囁き始める。
「……これが有名な、『ラ・プリンス』名物の『シャンパン・ウィスパー』かぁ」
夏実が頬を染めながらそんなことを言った。
「シャンパン・ウィスパー?」
あたしが首を傾げると、夏実は小声で教えてくれる。
「ほら、よく『シャンパン・コール』とかは聞くじゃない? ドンペリが入った時とかに、みんなで盛
り上げるの。ここはね、そんなことはしないんだって。一番高いお酒を入れてくれたお客さん
に、ホスト一人一人が耳元で甘い言葉を囁いてくれるの。そのお客さんにだけ聴こえる声で…
…ね。なんていうか、その方がくすぐられるものはあるよね。他の席のお客さんたちだってほ
ら、みんな羨ましそうに遊洛院さんを見てる」
言われてみるとその通り。他の席のお客さんたちはちらちらとこっちに視線を送ってきていた。
『依織』さんの囁きが終わると、今度は違う席にいたホストたちが一人ずつ立ち上がってあたし
たちの席にやってきて、グラスを取ると遊洛院さんの隣に座る。
『麻生』と呼ばれた仏頂面のホストも、頬を染めながら何か囁いていたし。
『瀬伊』と呼ばれた美少年風のホストは、まるで歌を歌うようにおしゃべりしている。
そうして、全員がそれを終えると、グラスを高々と掲げて乾杯をするから、あたしたちの席はお
店中の注目を浴びることになった。
……確かにこれは、女心をくすぐる演出かもしれない。
誇らしげに頬を紅潮させた遊洛院さんを見て、あたしは妙に納得してしまったのだった。

「スゴイねー、遊洛院さん! いつもあんなことされてるわけ?」
その『儀式』が一通り終わった後、あたしはため息混じりに遊洛院さんに訊いた。
「ま! い、いつもではありませんわよ。たまにですわ、た・ま・に」
「……でもさっき、『いつもの』って言って……」
突っ込みを入れたあたしを彼女は睨む。
「今日はあなたたちが一緒だから特別ですわ! この店にいる殿方全員がここにいらっしゃい
ますもの、あなたがたもどんな方がいらっしゃるかわかってよろしいでしょう?」
確かに、どんなホストがいるのかはしっかり見られたけど。でも、どの人もかっこよくて、綺麗
で、洗練されてて……。やっぱりみんな『違う世界』の人って感じがする。しがないOLのあたし
には一生出会えないような。
そういう意味では、いい経験……なのかなぁ、やっぱり。
「で、あなたたち。どなたがお好み? ちなみに、最初にいらした『依織』さまがこの店のナンバ
ーワンですのよ。『麻生』さまや『瀬伊』さまも人気はありますわね」
遊洛院さんの言葉に、あたしと夏実は顔を見合わせた。
「へぇ……『依織』さんてナンバーワンなんだ。やっぱりね」
うっとりした声で言ったのは夏実。うん、確かに彼は他の人と違うオーラを持っていた。
「遊洛院さんは? 誰がいいの?」
あたしが訊くと、遊洛院さんはぽっと頬を染めた。
「それが、普段はなかなかお店にいらっしゃらないんですの。運がいい時はお姿を拝見出来る
だけで……あぁっ!」
不意に彼女が悲鳴にも似た声を上げたから、ビックリしてあたしと夏実も遊洛院さんの視線を
追う。
「いらっしゃったわ! ああ、一哉さま……!」
ゆったりと店の奥から出てきたのが、どうやら遊洛院さんのお目当てのホストらしい。
「普通のホストではないんですわ。オーナーなんですもの、滅多にフロアには出ていらっしゃら
ないのよ」
なるほど。オーナーらしい品格……というかカリスマ性はすごいものがある。みんなの注目を浴
びながら、それを気にせず堂々と歩いているんだもの。
「ディアデームとも呼ばれてますのよ、一哉さまは」
遊洛院さんがそっとあたしに耳打ちをした。
「ディアデーム!? またおおげさな……」
思わずあたしが吹き出すと、それが聴こえたのか噂の『一哉さま』が足を止めてこっちを見た。
「鈴原さんっ! もうもう、貴女という方は!」
真っ赤になった遊洛院さんがあたしの口を両手で封じる。そんなあたしたちを見て、『一哉さま』
も苦笑したようだった。
それと同時に、隣からも笑い声が聴こえてあたしは驚く。
いつの間にか、再び。最初に来てくれた『依織』さんが隣に座っていたんだ。
「ごめんね。一哉のことをそんな風に言う子は初めてだったから。でも、常々僕もおかしな呼び
方だとは思っていたんだ」
ナイショ話をするように、彼はそっと囁く。
「これは一哉にはナイショだよ。さあ、お姫さまたち。グラスが空いていますよ?」
そう言って、『依織』さんはあたしたちのグラスにワインを注いだ。
「美しい女神たちに」
グラスを合わせて、ワインを飲む。あたし、本当はお酒ってそんなに得意じゃないから困ったん
だけど、せっかく注いでもらったし……と、一気に呷ってしまった。
「……あ」
さっき、シャンパンを飲んだせいもあって、アルコールが一気に体中に回っていく。目の前がぐ
らぐらして、あたしはグラスを落としてしまった。
「鈴原さん!?」
「むぎ!」
遊洛院さんや夏実の声が遠くに聴こえる。傾きかけた体を、優しく誰かが抱きとめてくれたこと
までで、あたしの記憶は途切れてしまった。



「あ……れ?」
薄く開けた目に映ったのは、白い天井。自分がどこにいるのか分からなくなったあたしは、とり
あえず立ち上がろうとしたけれど、猛烈な頭痛に襲われて断念した。
「無理しないで。まだ寝ておいで」
すると、そんな声が降ってくる。ゆっくり目を開けたあたしは、隣に誰かが座っていることに気付
いた。
「依織……さん?」
そこにいたのは、さっきまでフロアで華やかな笑顔を振りまいていた人で。その彼がどうしてこ
こにいるのか、あたしは咄嗟に理解出来ない。
「慣れないアルコールを一気に飲んだせいで倒れてしまったんだよ。危ないから、飲めないの
ならちゃんと言いなさい」
読んでいた文庫本を閉じて、彼は言った。あたしは素直に頷く。
「ごめんなさい。あの……あなたが運んでくれたの?」
最後にあたしを抱きとめてくれた腕。あれはこの人の腕だったんだ。
「ていうか……こんなところにいていいの? ナンバーワンなんでしょ?」
動揺しながらあたしが言うと、彼は楽しそうに笑い声を上げた。
「いいんだよ。むしろ休憩出来て助かった。ありがとう……えぇと」
「むぎ。鈴原むぎです」
あたしの返事に、彼は頷く。
「むぎちゃん。可愛い名前だね」
あたしは思わず苦笑した。
「いいよ、依織さん。こんなところでまで『営業』しなくて」
すると彼は、手を伸ばしてあたしの髪をくしゃりと撫でた。
「本心だよ。可愛いと思ったから言っただけ。だったら、僕のことも『さん』なんてつけなくていい
よ」
横になっていたせいで乱れた髪を、彼が直してくれる。
「じゃあ、えっと……依織……くん?」
「呼び捨てでもかまわないけれど?」
あたしは大きく首を振った。そんなの、もっと無理。
「依織くん。そう呼んでもいいの?」
「お好きなように、お姫さま」
あたしたちは、顔を見合わせて笑った。

「依織くんは、どうしてここで働いているの?」
他愛のない会話を続ける中で、あたしはそんなことを訊いていた。
「どうして……か。そうだね、これが僕に出来る唯一のことだったから……かな。女性をいい気
分にさせるのが得意技。ね、天職だろう?」
そう言って、依織くんはなぜか自嘲気味に笑う。
「うーん……。でも、依織くんあんまり楽しそうじゃないよ。こんなこと言ったらいけないのかもし
れないけど」
あたしは依織くんの瞳を見つめた。依織くんの表情が、少し揺らいだように思えたから。
「……そうかい?」
「なんだろう。うまく言えないんだけど……何にも執着してないっていうか、今すぐにでも店の中
から出て行ってもおかしくないっていうか?」
あたし、何言ってるんだろう。
今日初めて会った人に向かって、『楽しそうじゃない』とか『今すぐ出て行きそう』とか。失礼にも
ほどがあるんじゃないの……? と気付き、あたしは恐る恐る依織くんを見上げた。
けれど。
依織くんは、なぜか笑っていた。
「面白いことを言うね。……でも、そうかもしれないな。君には見抜かれてしまったみたいだね」
苦笑しながら髪をかきあげる。その表情が暗く見えてあたしはハッとする。
「何も持たないのはいいことだよ。失うものが何もないということだから」
あたしは黙っていられなくて思わず言っていた。
「でも! 譲れないものを一つでも持つのも……いいことだよ?」
そう言った後で、あたしにはそういうの、あるのかなって思う。
たった一人の家族である、お姉ちゃんがいて。
夏実や遊洛院さんみたいな友達もいて。
料理は好きで、よく一人で作ってる。
好きなものや好きなことはたくさんあるけど、譲れない一つって何だろう。

「譲れないもの――か。そうだね、そういうものがあったら素敵なのだろうけれど」
依織くんは呟くように言って、立ち上がった。
「もう大丈夫かな? 友達も心配しているだろう。席に戻ろうか」
差し出された手を、あたしは取った。
軽く手を握られただけで、胸がぎゅっと痛くなる。
あたし、どうしたんだろう。
「さあ、行きましょうかお姫さま。儚い夢の世界へ」
依織くんが微笑む。また、どこかに寂しさを隠した笑みで。
あたしは依織くんの手を握り返すと、またシャンデリアの下へと戻ったのだった。



そんなことがあってから。
あたしは、一人でも『クラブ ラ・プリンス』へ通うようになってしまった。
依織くんに逢いたい。
あの淋しげな笑みを隠す人に、逢いたい。話がしたい。
まだ働き始めて2年目のあたしには、毎日通うお金なんてどこにもないから、そこに行けるのは
よくて週に1度。
それでも、あたしは。
依織くんが背負う影の理由をどうしても知りたくなってしまったんだ。

「いらっしゃい、むぎちゃん。今日はお酒が飲めるのかな?」
依織くんはあたしを迎えると、からかうように言う。あたしがアルコールにあまり強くないことを
知っている彼は、あたしにも飲みやすい甘いカクテルを作ってくれたり、飲みやすいワインを教
えてくれたりするんだけど。
「だいぶ、強くなってきたよ? この前の会社の飲み会でも、潰れなかったし」
唇を尖らせて言うと、依織くんは肩を竦めた。
「やれやれ。危ないことを言うお姫さまだね。そういう女の子はいつ『お持ち帰り』されても仕方
ないんだよ?」
「お持ち帰りって? あたし持って帰ってもしょうがないと思うけどなぁ」
そう答えると、呆れたように依織くんは笑った。
「本当に、君は。そこまで無邪気なのも困り物だな」
薄い桃色のカクテルをあたしに差し出す。あたしはそのお返しに、持ってきた紙袋を依織くんに
渡した。
「これは?」
「煮物とか、玉子焼きとか。この前、和食が好きだって言ってたでしょ?」
来る前に作ってきたお惣菜がいくつか入っている。それを見た隣の席の女性たちがくすくすと
笑い出した。
「いやだ。依織に煮物ですって。何考えているのかしら、あの子」
「ねえ。この前、ベンツのキーだって断ったって聞いたわよ?」
あたしは途端に恥ずかしくなって俯いてしまった。
そうだったんだ。
あたしに出来ることって言ったら、料理くらいで。依織くん、ちゃんとご飯も食べてなさそうだから
って……勝手に、こんなの作って来ちゃって。
「ご、ごめん! 依織くん、迷惑だよね。あたし、何も知らなくて……」
恥ずかしさで頬が熱くなる。あたしは慌ててその紙袋を引っ込めようと手を伸ばす。
ところが。
「迷惑なんかじゃない。嬉しいよ。僕の好きなものを覚えていてくれるなんて。しばらく、こういう
料理は食べていないから楽しみだ」
依織くんは、紙袋を返してくれなかった。
「でも……っ!」
「僕に作ってくれたのではないの? だったら、貰っていいんだよね?」
満面の笑みでそう言われたら、頷くしかなくて。
「いいの?」
不安げに見上げたあたしの髪を、依織くんは撫でてくれた。
「ありがとう、むぎちゃん」

ああ。
あたし……この人が、好きなんだ。

その笑顔を見て、唐突に湧き起こる想い。
それは切なさを伴ってあたしの中に満ちた。
この店の中は、夢にも似た世界だって分かってる。その夢の住人に恋をしても仕方ないってい
うことも。
でも、好き。
依織くんが好き。
あたし……どうすればいいんだろう。

「むぎちゃん?」
黙り込んでしまったあたしを心配して、依織くんが顔を覗き込む。
「あ、ううん! 何でもない」
あたしも笑顔を返して、依織くんが作ってくれたカクテルを一気に飲み干した。
甘い、甘いそれにはやっぱり、自覚してしまった恋の苦さも含まれているような気がした。


想いを自覚してしまえば、落ちていくのは早い。
あたしはその後も、何度も依織くんに会いに『ラ・プリンス』へと通った。ナンバーワンだという依
織くんは忙しくて、ずっとあたしのテーブルにいてくれることはなかったけど、逢えただけで嬉しく
て。でも、他の女の人に優しくしているのを見れば、胸がちりちりと痛む。これが嫉妬という感
情なんだと、あたしは初めて知った。

依織くんが好き。
でも、依織くんは遠い。
あたしに出来ることは、依織くんに会いに『ラ・プリンス』へ行くことだけだった。



その日、あたしが『ラ・プリンス』へ行くと依織くんは休みだと言われてしまった。
「そうですか」
依織くんの他に、おしゃべりしたい人や逢いたい人もいないから、帰ろうとするあたしを呼び止
めたのは、意外にも『ディアデーム』と呼ばれていた、あの『一哉さま』だった。
「お客様。よろしければ今夜は私がお相手を」
いきなりそう言われて、あたしはビックリする。
「え? あ、いや、でも! いいです、あたし……っ!」
すでに逃げ腰になったあたしの腕を、彼はしっかりと掴む。
「いいから。今日はサービスだ。俺の相手をしろ」
いきなり倣岸不遜な態度で、あたしを引っ張っていく。相手をしろって……あたし、ホストクラブ
に来たんじゃなかったっけ?

いつもは通されない、VIP席に連れて行かれたあたしは、彼と向かい合う。『一哉さま』はゆった
りと足を組んで座ると、煙草に火をつけた。
「……えーと。一哉さま? ディアデーム?」
何と呼んでいいか分からないあたしが呼びかけると、彼は煙にむせる。
「何だよ、その呼び方は。普通に呼べ」
「普通って言われても……じゃあ、一哉くんでいい?」
一哉くんは頷いて、改めて煙草を吸い、煙を吐き出した。
「何であたし、こんなところに連れて来られたの? 言っておくけど、あたし……」
「料金は気にするな。言っただろう、おまえは俺の相手をすればいいだけだ。俺を貸しきるには
OLの給料じゃ無理だな」
バカにするように笑う彼に、あたしはムッとする。そりゃ確かにあたしは平凡なOLですよ。遊洛
院さんみたいにドンペリを毎回入れられるわけじゃないし。
「だから、何なの?」
反論したあたしに、一哉くんはさらりと言った。
「依織は、やめておけ」
突然の言葉に、あたしは言葉を失う。そんな、どうして急に。
「おまえがまっとうそうなOLみたいだから言っているんだ。ホストになんかのめりこんで貢いで
たら、あっという間に破産だぜ? それともヤミ金から金を借りて雪ダルマ式に借金を増やす
か? 堕ちるのなんて一瞬だ」
そういう話を、よく聞く。実際、ここに通うにはかなりお金がかかった。しかも、あたしはここに来
ても他の人みたいに高いお酒を入れることが出来ない。
「うちは良心的な店だからな。おまえみたいに見るからに道を踏み外していきそうな女を放って
はおけないんだよ。まあ、昔の吉原と同じで、俺にこういう厄介な役回りが回ってくるんだ。下
手に思いつめられてホストと心中騒ぎなんかを起こされても困る」
あたしは拳を握り締めた。そんなの……あたしはただ、依織くんに逢いたいだけなのに。
「依織には、特にそういう客がつくんだよ。今までに何人、依織のためにすべてを失った女を見
てきたか。それでも依織はそんな女たちを気にも留めない。冷たい男だよ。分かるだろう、おま
えにも」
「違う!」
あたしは首を振った。
「依織くんは冷たい人じゃないよ! 何も気にしてないわけじゃない。依織くんは……っ!」
興奮して立ち上がるあたしを、宥めるように一哉くんが言う。
「落ち着け。確かにおまえは今までの女とは少し違うが……だからこそ忠告している。依織は
やめておけ。この店にも、もう来ない方がいい」
煙草を灰皿に押し付けると一哉くんは立ち上がった。
「トラヴィアータにはなるなよ」
首を傾げたあたしに、彼は「分からないならいい」と苦笑してあたしの腕を掴む。
「一哉くん!」
「今日はもう、帰れ。今までだって十分夢を見ただろう。夢はもう、終わりだ……。これは、依織
の意志でもある」
入り口にいた黒服の人に丁寧に送られ、あたしは店の外に出される。
『クラブ ラ・プリンス』の黒いドアは、重く閉まったきりだった。



その後何回か店に行ったけれど、いつでも「依織は今日、休みです」と言われて追い返され
た。
それは、一哉くんがそうさせているのか。
それとも依織くんがそうしているのかは分からない。
ただ分かっているのは、あたしはもう依織くんに会えなくなってしまったんだということ。
そしてそれが、堪らなく切なくて苦しいということ。
焦れたあたしは、ついに店の裏手で依織くんを待とうとまで思いつめてしまった。

夜中から明け方まで待っていれば依織くんに会えるかと、あたしは歓楽街へと足を向ける。
表通りは華やかなその通りも、一歩裏に回れば歓楽街の闇の顔を覗かせていた。
怖くないと言えば嘘になるけど。
依織くんに逢いたい一心で、あたしはこんな大胆なことをしている。もしかして、ストーカーにな
っているんじゃ……とも思ったんだけど。もう一度だけ依織くんに逢うまでは、と思いつめたあ
たしは戻ることが出来なかった。

二時間もそこで待っていただろうか。
何人もの酔っ払いに声をかけられ、躯に触れられそうになっては逃げて。それでも待ち続けよ
うとしたあたしの腕を掴んだのは、明らかにその筋の人……と分かる二人組だった。
「さっきからここで何してんだ? 若いお姉さんが一人でいる場所じゃないぜ」
「そうそう、こうやって怖いところに連れて行かれても文句は言えないからな」
ニヤニヤと笑いながらあたしの腕をしっかりと掴んでどこかに連れて行かれそうになったあたし
は、今度こそ恐怖に躯が強張った。酔っ払い相手じゃない。力が強く、ビクともしない。
「いやっ!」
「お嬢さんの散歩にしちゃあ、ちょいと遅すぎたなぁ」
腕に、男の指が食い込む。さらに悲鳴を上げようとした、その時。

「その子は、御堂の客ですよ」
久しぶりに聞くその声に、あたしは顔を上げた。
「御堂を動かすのは、あなた方にとっても得策ではないでしょう」
苦笑まじりに腕を組んで言ったのは……依織くんだった。
「チッ……。御堂の客なら客らしく、こんなところをうろつかせるなや」
「心得ました。僕も御堂を動かしたくはないので」
穏やかに言うと、男たちはあたしから手を離して夜の街へと消えていく。

依織くんは腕を組んで黙ったまま、あたしを見つめていた。
「依織くん……」
「本当に、困った子だね。一哉に言われただろう? もうここには来るなと。僕も同じ意見だっ
たのだけれど」
掴まれていた腕を押さえながら、あたしは依織くんに近づいた。
「だって! 納得出来ないよ。どうして逢いに来ちゃいけないの? あたし、依織くんに逢いたい
だけだったのに!」
ぽろぽろと涙が零れる。久しぶりに逢った、大好きな人は冷たい表情をあたしに向ける。
「深入りされたくないんだよ。分かっているだろう? 君と僕は、住んでいる世界が違う。君が怯
えた闇こそ、僕が生きていく場所なのだから」

依織くんの瞳の中にも、闇がある。
でもあたしはその闇もすべて知りたいの。

「好きなの。あたし、依織くんの全部が知りたいんだよ」
あたしは依織くんの腕に触れた。そしてその瞳を覗きこむ。
「こんなに誰かを好きになったのは初めて」
相手は「ホスト」。それも分かってる。だけど、好きという気持ちを止めることが出来ない。
「……本当に愚かな子だね。俺なんかを好きになっても仕方ないのに」
依織くんは困ったように笑って髪をかき上げる。さらさらと零れ落ちる髪に隠れて、あの昏い瞳
が揺れている。
そして、低い声で彼は言った。

「後悔してもいいのなら、一夜だけ。今夜だけ俺を君の貸切にしてあげるよ」

依織くんの指があたしの顎を掬う。
「どうする? むぎ」
魅惑的に誘う唇。
後悔なんてしない。
一夜だけでもかまわない。
あたしは涙が零れるままに、依織くんの胸に顔を埋めた。もう一度依織くんが、困ったように
「愚かな子だ」
と呟くのを聞きながら。



「ああぁっ……!」
全身を甘いカクテルに変えられたあたしは、何かにすがろうとして声を上げる。
依織くんはあたしの足の間に顔を伏せて、そのカクテルを音を立てて啜っていた。
「腰が揺れているよ、お姫さま。感じやすい躯だね」
とっくにはしたなく溢れている蜜が依織くんの唇を濡らす。そんな風に男の人にすべてを暴かれ
るのは初めてで、あたしはどうしたらいいのか分からなかった。
「中も狭いな……俺を受け入れたら、壊れてしまうかもしれない」
そう言って、依織くんは中に指を挿し入れてくる。中を探るように浸入してきた指は、ゆっくりと
あたしの中を確かめるように動く。
「ひっ……や……」
「無邪気すぎるのも困り物だと言ったよ? その無邪気さへの罰を与えなくてはね」
指を動かしながら、その上の敏感な花芯に依織くんは舌を近づけた。舌先で容赦なく蹂躙し、
舌を絡めて吸い上げる。
「きゃうっ……!」
ひくん、と躯全体がうねり、今まで感じたことの無い感覚が足元から這い上がってくるのを感じ
ていた。
「いや、いやぁっ! なに、これ……」
「勇敢で愚かなお姫さま。身の程を知らない勇敢さは、ただの愚かさだと言うんだよ」
手加減することもなく、依織くんはあたしに鋭すぎる刺激を与え続けた。そして、あたしの躯が
淫らに揺れるのを愉しそうに眺めている。
「こんな男に近づいて。花を散らそうというのだから」
奥まで入り込んだ依織くんの指が、あたしの中の一点を探り出した。
「初めてのお姫さまには少しつらすぎるかな? 狂うような快楽をあげるよ」
そこを擦り上げ、花芯を啜る。大きな波があたしを包み込み、押し流す。
「ひぃっ……! あ、やああぁっ!」
びくん、びくんと躯が跳ねた。自分でも、どうなったのか分からないまま。
「まだまだ。何度でもいけばいい」
冷酷にも聴こえる声が、愛撫の手や舌を止めさせない。あたしはその後も、何度も頂上に無理
矢理押し上げられ、そこから叩きつけられ……またその波に乗せられる。

「依織……くん。ゆるし……」
躯全体が燃えるように熱くなり、このままでは狂ってしまうと思われた頃、ようやく依織くんは躯
を起こした。
「初めてなのに、こんなに濡らしてしまったからね。もう、俺を迎えても大丈夫だね?」
残酷なまでに優しく囁いて、依織くんはあたしの髪を撫でる。
さらに足を大きく開かせて、自身の剛直を押し当てた。
「もう、後悔しても遅い。手加減などしてやらない」
その猛りが、あたしの中を押し開いていく。狭い道を無理矢理こじあけるようにして、奥まで。
「あ……ぁ、ひ……」
「初めての花は、キツいね……むぎ、力を抜いてごらん? ちゃんと濡れているから痛くないだ
ろう?」
あたしは涙を零しながら首を振った。痛みは痛みとして、あたしの躯を貫いている。
「フフ。そんなことを言って、もう奥まで飲み込んでしまったじゃないか。凄くいやらしいよ、俺を
咥え込んで蜜を零す君の花は」
嘲笑うように言うと、依織くんは足を開かせてあたしにその部分を見せようとする。
「いやぁ!」
「見てご覧。これが、君の『愚かさ』の証さ」
初めての徴が、足を伝っている。けれど、それさえ依織くんが流させたのだと思えば厭わしくは
なかった。
「せっかく俺が遠ざけてあげようとしたのに。君は、俺なんかに関わらない方がよかったのに」
あたしの腰を掴むと、依織くんはゆっくりと動き出す。
「依織くん……依織くん!」
「この闇に、君まで染まることはないんだ!」
ずちゅ、といやらしい音が響いて、依織くんのモノがあたしに出入りする様子が見えた。ぬらぬ
らと濡れたそれがまたあたしの奥に飲み込まれていく光景は卑猥で、淫靡で。
でもどこか、あたしを昂ぶらせた。
「聴こえるかい? この淫らな音が。君が俺を飲み込む音さ。嬉しそうに溢れ出して、俺と繋が
っている音だよ」
耳元で依織くんが囁く。
ずっと。
依織くんにそうやって囁かれたいって思ってた。
シャンパンより甘いその言葉を、耳に流し込んで欲しかったの。
それが、どんな言葉でも。

「好き……好きだよぅ、依織くん……」
依織くんの背中に腕を回し、あたしはその言葉だけを繰り返す。あたしのことを、少しも好きな
んかじゃない男の人に。
この夜が終われば、まるで何もなかったかのようにあたしを置き去りにする人に。
ぎしぎしとベッドが鳴る。最奥を穿たれても、あたしはもう痛みじゃなく悦びを感じられるようにな
っていた。
「莫迦だ。本当に君は……ばかだよ」
なぜか苦しげに依織くんは熱い吐息と一緒に吐き出した。
それでもあたしは彼に縋り、その動きをもっと感じたくて躯を揺らす。
「いやらしいお姫さま? そんなに俺が欲しいのなら、もっともっと狂わせてあげるよ」
耳に、依織くんの酷い言葉が届いた。
「忘れられない痕を君に残してあげる。俺が中からいなくなっても、俺が欲しくて堪らなくなるよ
うな……ね。そうして、君も堕ちればいい」
ああ。
そうしたい。
そうできたら――。
あたしは、どれだけ倖せだろう。
依織くんを忘れられずにいられる魔法なら、幾らでもかけて欲しい。

依織くんにキスをねだるあたしの唇に、依織くんは指で触れただけだった。
「ダメだよ」
ひどく優しい声で、そう言う。
「依織くん……!」
切なさで苦しいあたしに、依織くんは首を振る。
「ダメだよ……キスは。違う魔法がかかってしまうから」
そう言った彼も、なぜか切ない表情を浮かべていて。


朝が来るまで依織くんは、何度も繰り返しあたしを抱いたけど。
結局一度も、キスはしてくれなかった――。


Illustration by miiさま



<to be continued…>


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